忘年会シティハイクTOP  2003/12/20  
 都営新宿線「神保町」13:00集合  参加者24名 内5名宴会場直行

コース
富士見坂〜猿楽通り〜お茶の水小学校(旧錦華小学校)(夏目漱石)〜〜男坂マロニエ通り山の上ホテル〜杏雲堂病院(大久保彦左衛門屋敷跡)〜雁木坂ニコライ教会〜聖橋〜湯島聖堂(昌平講跡)〜神田明神(江戸国学発祥の地)〜宮本公園〜樹木谷坂〜東京都水道歴史館外堀通〜お茶の水貝塚(東京歯科医科大学)〜お茶の水橋〜お茶の水発祥の地〜JR御茶ノ水駅(15:20)
東京は2〜3日前から急に寒くなった。当日20日は少し風があるものの、晴れ。よかった。昨年は雨でたいへんだったもの。
歩いた順番に写真を並べました。
11/24下見のときとだいぶ、木々の様子が変わっていた。そう冬景色ですね。
13:20 お茶の水小学
校脇の夏目漱石碑
猿楽通の「集英社」 「男坂」うえから 「男坂」下から。
上りきったところが
マロニエ通り
13:35 マロニエ通り
「文化服装学園」
レトロな感じの建物
お茶の水小学校:明治6年(1873)5月、久松学校として開校。その後錦坊学校、錦華学校、錦華尋常高等
小学校、錦華尋常小学校、錦華小学校と改称。
現在は、近隣の小学校と統合され「千代田区立お茶の水小学校」となる。
明治11年10月24日夏目漱石(塩原金之助)が尋常科二級後期を飛び級で卒業している。
(神田すずらん通り商店街振興組合HPより)
マロニエ通り。
向かって左は
「駿台予備校」
「山の上ホテル」
クリスマス装飾だ
ホテル横の小公園
の紅葉
13:48 雁木坂からの
ぞく「ニコライ堂」
「ニコライ堂」
紅葉はなかった
山の上ホテル:昭和12年財団法人日本生活協会によって建てられたもので、太平洋戦争が始まると
まず海軍に、戦後は米軍に接収され、WAC(陸軍婦人部隊)の宿舎として使われた。アール・デコを基調としたその優雅な姿と
眺望のよさから、「ヒルトップ」の愛称で呼ばれていた。
その後、昭和28年に米軍から返還された。昭和55年の改装。
別名「文化人のホテル」。ロビーには、ここを愛した池波正太郎の絵がある。(同HPより)
ニコライ堂:1891年完成、重要文化財。駿河台火消屋敷跡に建設。ロシア人シチューポルク設計、
イギリス人コンドルの工事監督であった。関東大震災で被災し、1929年修復。
湯島聖堂「入徳門」
奥には「大成殿」
「神田明神」
隋神門派手ですな
銭形平次の碑もあ
るよ
14:25 東京都水道
歴史館内「お茶の
水」と読める、
左右の崖にみえる
のは現在の駿河台
消火栓のいろいろ、
黄色いのは北海道
あたりで、みられる
そうだ
木製の水道管
湯島聖堂:関東大震災で類焼したが、入徳門は免れた。老中松平定信が1797年聖堂脇に学寮・宿舎を建て朱子学を幕府の正学
として学ばせた。
神田明神:天平2年(730将門塚周辺)に創建。平将門が俵藤太に討たれ葬ったのが将門塚。
延慶2年(1309)には将門の霊を相殿に祀り、神田明神と称した。関東大震災で各町で持っていた山車等も殆どが焼失するとともに
本殿も焼失した。戦後、震災で失われた、神輿や社殿を復元復興、御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)は縁結びの神さま。
隋神門右手に”江戸国学発祥の地”碑がある
東京都水道歴史館:江戸時代上水や、近代水道の歴史を紹介している。なかなか面白かった。入場無料。
帰りには、お土産(携帯ストラップおよびボールペン)をくれた。
再現された江戸時
代の井戸の様子
「深川資料館」展
示に似ていた
14:55 ところどころ
に紅葉を残す外堀
左側、東京歯科医
科大病院
貝塚は見られなか
った
お茶の水橋から
神田川
水道橋方向
「お茶の水記念碑」
発祥の地
駅前の交番脇にあ
お茶の水?
石碑の横で竹口か
らチョロチョロでて
いる。
どうも水道の水ら
しい
「お茶の水橋」から
東京歯科医科大学
15:20
JR「御茶ノ水駅」
神田明神横「宮本
公園」
さびしく残るもみ
じの葉
同左
お茶の水:順天堂あたりにあった高林寺の名水で、鷹狩の帰路立ち寄った2代将軍秀忠がお茶を飲んで以来将軍家御用達の名水
となったのが、お茶の水の由来。
名水の井戸は幕府が1661年船運水利のため神田川拡張工事を完成させたことにより、川底に没した。

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ごらんいただき、ありがとうございました。